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青森地方裁判所 昭和44年(ワ)353号 判決

原告 宮田一夫

〈ほか三名〉

原告ら訴訟代理人弁護士 米田房雄

被告 千代田火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 手嶋恒二郎

右訴訟代理人弁護士 宮原守男

主文

原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、本案前の抗弁について

民法八二六条によれば、親権者とその未成年の子との利益が相反する行為については、その親権が制限され、親権者はその行為に関して法定代理権を有しないのであるが、右利益相反の有無はその行為自体について判断すべきものであり、又右規定はもっぱら子の利益を保護した規定であるから、形式的にその利益が相反するものであっても親権者の不利益によってその未成年の子が利益を受ける場合にはその適用がないものと解するのが相当である。本訴は原告宮田不二夫、同宮田好子、同宮田三喜夫ら子がその親権者である訴外宮田定夫を法定代理人として被告保険会社に対して損害賠償請求権の行使をなすものであるが、仮令右請求権が原告らの右宮田定夫に対する損害賠償請求権の行使をその前提としているとしても、利益相反の有無は前者について判断すべきである。しかるところ前者については何ら利益相反はなく、又右損害賠償請求権の行使によって原告ら子がもっぱら利益を受けるものであるから、本訴請求について親権者である定夫がその親権を制限される理由は全くない。よって訴外宮田定夫は本訴請求について適法に法定代理権を有するものであり、被告の本案前の抗弁は理由がなく採用出来ない。

二、本案について

(一)  訴外宮田定夫が被告との間で本件自動車につき原告主張の保険契約を締結していたことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、訴外宮田定夫、同宮田きよのは夫婦であり、訴外宮田静子(但しその後婚姻により木浪と改氏した)は右夫婦の長女、原告一夫はその長男、同不二夫はその二男、同好子はその二女、同三喜男はその三男であること、昭和四四年六月三〇日午前九時四五分ごろ、訴外宮田静子は前記自動車を運転し、助手席に宮田きよのを、後部座席に原告一夫を同乗させて青森県東津軽郡蓬田村大字瀬辺地字山田三五番地附近道路を青森市方向から東津軽郡蟹田町方向へ向って進行中、自車を左側ガードレールに激突させ、そのため同乗の宮田きよのをして肝臓破裂、全身打撲等の傷害により死亡させたことを認めることが出来、他に反証はない。

(二)  原告らは自賠法一六条一項に基いて本訴請求に及ぶものであるところ、自賠法一六条一項は被害者に対し保険会社に対する保険金請求権を認めた規定ではなく、被害者の加害者(被保険者)に対する自賠法三条に基く損害賠償請求権を保険金額の限度内で保険会社に対して行使することを認めた規定であるから、右行使が認められるためには、被害者が加害者に対して右損害賠償請求権を行使出来ることが前提となる。本件について云えば、原告らが自賠法三条に基いて本件被保険者で加害者と目される訴外宮田定夫に対して本件事故に基く損害賠償請求権を行使出来ることが前提となるので、まず被害者である訴外宮田きよのが自賠法三条の「他人」に該当するか否かについて考えてみるに、自賠法三条の「他人」とは運行供用者および運転者以外の者を指すと解すべきところ、前記認定事実によれば、本件自動車の運転者は訴外宮田静子であったから、訴外宮田きよのが運行供用者であったか否かが問題となる。しかるところ、≪証拠省略≫によれば、訴外宮田定夫ときよのは昭和二四年ごろ結婚した夫婦であり、昭和二九年ごろ青森県東津軽郡蟹田村大字大平字山元一〇三番地に居住したが、右夫婦は昭和三六年四月一〇日ごろ右住所地で「宮田商店」名で魚、菓子その他味噌、醤油などの食料品その他日用雑貨の小売店を開業したこと、しかし夫定夫は毎年一一月から翌年三月までは季節労務者として東京、北海道方面へ出稼ぎに出ており、四月から一〇月までの間は山へ自転車で山菜を取りに行っていて、前記小売店の経営にはほとんど関与せず、青森市の市場へ商品を仕入れに行ったことは一度もなかったこと、すなわち右小売店の経営はすべて妻のきよのによってなされ、きよのは定夫が取って来た山菜を籠に入れて背負い、国鉄を利用して青森市の市場に運んでこれを販売し、その帰途又は仕入れに出かけた帰途は同じく店で販売するため仕入れた商品を籠に入れて運搬しており、右仕入れはすべてきよのの判断によりなされ、販売もきよのおよび前記静子の労務によりなされていたこと、しかしながら昭和四三年九月ごろ夫婦間で右の如く自転車で山菜を取りに行ったり、籠で商品を運搬することは疲労がはげしいので、右山菜および商品の運搬のため自動車を購入することを決め、長女の静子に運転免許を取得させると共に、そのころ青森ダイハツより本件自動車を代金三四万円、四回の分割払の約定で買受け、第一回の分割金一〇万円は前記店の収益金および定夫の賃金等により支払ったが、第二、三回目の支払については定夫は関与せずきよのが店の収益金よりこれを支払い、第四回目の支払は昭和四四年八月三〇日に約束手形で一〇万円を支払うべきところ、本件事故によるきよのの死亡のため、店の収益がなくなり、現在未払となっていること、右夫婦は同年九月三〇日本件自動車の引渡を受け、車体の運転席扉に「宮田」、後部に「蟹「宮」田」と表示し、以後は冬期の運行不能の時期を除いて、定夫が長女の静子に運転させて山菜取りに使用したり、きよのが同じく静子に運転させて毎日又は隔日に青森市に赴き、市場で仕入れた商品の運搬に使用していたが、そのガソリン代はきよのが店の収益から静子に渡していたこと、本件事故当日、きよのは本件自動車で山菜を運搬して青森市へ赴き、これを販売した後、店で販売する大量のスイカ、バナナ、メロン等を仕入れてこれを右自動車で運搬して帰途につき、その途中、きよのの指示で青森市の沖舘の病院に立ち寄り、同病院に入院中の原告一夫を外泊させるため同原告を後部座席に同乗させて更に蟹田町に向って帰る途中本件事故を惹起させたものであることが認められる。≪証拠判断省略≫右事実によれば、訴外宮田きよのは本件小売店の営業について夫である定夫の指図の下に補助的な立場でその営業に従事していたものではなく、その独自の判断でこれを采配し、時には定夫とは独立してその営業活動をなしていたものと云うことができる。もっとも≪証拠省略≫によれば、訴外宮田定夫が昭和四四年一〇月一三日付で蟹田町長宛に右宮田商店の事業主が宮田定夫である旨の営業証明の申請をなし同日その旨の証明がなされていることが認められるけれども、前記認定の事実によれば、右証明は定夫が税法上の事業主又は世帯主であることの証明以上の意味を有しないものと推認される。

ところで、自賠法三条の運行供用者とは当該車輛について一般的、客観的に運行支配を有し、且つ運行利益を享受する者を云うものと解すべきところ、右運行支配・運行利益の有無は実質的に判断すべきものである。そうだとすれば、宮田きよのは世帯主でもなく、税法上の営業主でないという理由のみで、その運行供用者性を否定することは出来ない。

そこで、まず前記宮田商店について誰が実質的にその営業を支配し、その収益が誰に帰属していたかについて考えてみるに、まず前記宮田定夫は税法上の営業主で世帯主であり、前記宮田商店なる営業に単に名義を貸与していると云う関係でもないから、同人がその営業主の一人であることを否定することは出来ないであろうが、右営業については妻である宮田きよのも前記認定の如く夫と協同し、むしろ主導的な立場でこれに関与しているものであるから、同人をもその営業主と認めて何ら妨げないものであり、結局本件営業は右宮田夫婦の共同営業と認めるのが相当である。

次に原告らは、本件自動車は主として山菜の採取販売のため訴外宮田定夫が購入したものである旨主張するが、前記認定事実の如く、本件自動車の車体に宮田商店名が表示されていること、従来毎日又は隔日に青森市へ運行し仕入れをなしていたこと、本件事故当日も現に宮田商店の営業のため運行され、その仕入れ量も大量であったこと、ガソリン代は宮田商店の収益から支払われていたこと、その他山菜取りは頻繁になされるものでないことなどを総合すれば、本件自動車は主として前記店の営業用として使用されていたものと云うべきであり、又その購入代金もその大部分が右営業の収益により支払われていたものと云うことが出来るから、その購入者名義および保険契約の締結者名義が仮令訴外宮田定夫であるとしても、そのことだけで同人が本件自動車を排他的に支配していたものと云うことは出来ない。

以上の次第で、宮田きよのは宮田商店の共同営業者であり、且つ本件自動車は主として右営業用として使用されており、本件運行も右営業の遂行であったから、同人は客観的、一般的のみならず、具体的にも本件自動車の運行支配を有し且つ運行利益を享受していたものであり、自賠法三条の運行供用者に該当するものと云わざるを得ない。

(三)  そうだとすれば、原告らは加害者である訴外宮田定夫に対して自賠法三条に基く損害賠償請求権を取得しないことになるから、原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないこととなる。よって原告らの本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 久末洋三)

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